ベテランです・・
高校生の彼が、アルバイトを始めて2年が過ぎていました・・・・
今ではすっかり仕事も覚えて、品出しからレジ打ちまでテキパキとこなす、そのスーパーでは、ベテランのアルバイト店員です。
彼のシフトは、週に2日は学校帰りに、土曜日は朝から夕方までというものでした。
ワイシャツにスーパーのエプロンをつけた彼は、明るい対応をすることでお客さんには、なかなかの評判です。
彼は母親との2人暮らしで、父親とは中学1年の時以来、会っていません。
母親は離婚してからは、介護施設でフルタイムの社員として働いていて、
仕事は、夜勤もあるため、彼もできるだけ、洗い物や食事の用意を手伝っていました。
そんな忙しい毎日を過ごしていましたが、
休日には、一緒に買い物に出かける、仲の良い親子でした。
彼は、ときどき腰が痛いという母親の姿を見ていて、介護の仕事が、とても大変なことはよくわかっていました。
それが影響している訳ではありませんでしたが、以前から高校を卒業したら就職したいという気持ちがありました。
それは彼にとって、進学して勉強するよりも、働く充実感を味わうことに関心があったからでした。
親の意地
春休みに、彼は、母親と進路のことについて話し合いました。
それまでは、互いに忙しく、進路のことについて、向き合って話をしたことはありません。
彼は、母親にはじめて、
卒業したら就職するつもりであることを告げると、
いつも穏やかな表情をしている母親が、キッとした表情で「大学に行きなさい」と言いました。
いつも大抵のことには、賛成してくれる母親だっただけに、
彼はその反応に、ちょっと驚いてしまいました。
彼は、家が裕福ではないことは十分に分かっていましたし、母親が、自分に不憫な思いをさせまいと無理をしているのも、うすうす分かっていました。
彼は高校を出て、公務員の仕事に就くことを考えていましたが、そんな話しもできないまま、
親子の話し合いは、物別れに終わり、
結論が出ないまま、5月の三者面談の日を迎えました。
担任の先生は、
今の成績なら、推薦で近くの私立大学に行けるレベルであること告げました。
その大学は他の大学に比べると、少しだけ学費が安い大学でした。
しかし彼は、先生に、
卒業したら、地元の公務員に就職したい。と話を切り出しました。
先生は2、3秒沈黙をした後に、落ち着いた口調で言いました。
「経済的な事情で就職するという進路をとりたい気持ちはわかるけど、今は奨学金制度も充実しているし、できれば大学を出てから公務員になったほうがいい。」
そう、言いました。
すると、元々進学することを勧めていた母親も、
先生の言う通りだと言わんばかりの話ぶりで、彼を説得し始めました。
確かに、
その大学なら、自宅から1時間以内と便利なうえ、交通費もさほどかからずに通学することができます。
夜勤のある母親の手伝いもできます。
お世話になっているスーパーの店長にも、高校を卒業してからも「ウチでアルバイトを続けて欲しい」と言われたのも、頭をよぎりました。
三者面談の3日後、
彼は公務員の受験をやめて、大学進学に切り替えました。
彼の気持ちを変えたのは、
面談の後に自分で調べた結果、奨学金を継続したり、アルバイトを増やせば親に学費の負担をあまりかけずに大学に進学できることが分かったからでした。
それに大学を卒業したら、地元の市役所で働く公務員を目指していたので、目標を諦めるわけでもなかったからです。
母親は、その話を聞いて
「これからも仕事を頑張らなきゃ」と、とても嬉しそうに話していたのが印象的でした。
薄氷の上の幸福
彼は無事に、目標の大学に入学することができました。
彼は高校時代から継続している奨学金の他に、
新たに、もう1つの奨学金を受けることにしました。
新しい奨学金は授業の成績が悪いと取り消しになってしまうため、授業もサボらずにちゃんと受けていました。
アルバイトも週3日から週5日に増やして、学費の足しにするように頑張っていました。
こうして順調に大学生活を送り、
大学2年生になった頃、
彼はある、小さな壁にぶつかっていました。
それは、大学の授業で1科目だけ、数学の知識が必要なものがあったのです。
彼は数学が大の苦手で、大学も推薦で入ったことから高校3年以降は、ほとんど数学をやっていません。
それでも今までの試験もいい成績をおさめているし、何とかなると思っていました。
試験も終わり、数ヶ月後、成績が送られてきました。
丁寧に封筒を開け、成績を見ると、
あの苦手な科目の単位を落としていました。
成績は総合評価で、余裕を持って単位を取っていたので、
1科目ぐらい単位を落としても問題はないと思っていました。
が、次の瞬間、
あることを思い出し、
彼の全身の血は凍りました。
その単位は、必須科目だったのです。
彼の大学では、必須単位を落とすと留年になります。
留年すると、奨学金が全て、止まります。
奨学金は毎年の学費に充てていたので、1年後には、かなりまとまったお金が必要になります。
「留年のことは、母親にだけは知られてはいけない」
直感的に、すぐにそう思いました。
母親は夜勤のシフトを増やしていて、苦労していることが、痛いほど分かっていました。
「母さんにこれ以上負担をかけてはいけないし、期待に応えなければいけない」。
彼は、そう決意しました。
たった1つの単位で、留年するのです。
彼は少しだけ、自分の不甲斐なさを悔やみました。
それでも、持ち前のガッツで何とかこの状況を乗り切ろうと考えていました。
こぼれ始めた夢
彼は母には内緒で、アルバイトを、もう1つ増やしました。
彼は休む間も無く、働きました。
1日中働きづめで、大学の授業では居眠りをすることも増えてきました。
頬はこけ始め、
誰が見ても明らかに痩せ始めたのがわかりました。
彼が大学を続けるためには、
今のアルバイトを増やしながら
100万円近いお金を貯めなければなりません。
息子が痩せていく姿を見て、
母親は心配になり、声をかけますが、
彼は、「最近太ったから、ダイエットだよ」とか何とか言いながら、ごまかしていました。
高校生の頃から働いているスーパーでも、ミスが目立ってきてきました。
ある日には、
搬入のトラックにぶつかりそうになって、店長から注意されることもありました。
こうしてギリギリの生活を続けて、次の春がやってきました。
ただ搾取されるだけ・・
大学の友達は、3年生になりました。
黙っていれば、
自分が留年したことは分からないので、いつもと同じように、学食で友達と接していました。
ある日、いつもクラスで一緒になっていた友達の数名が、公務員を目指すことを話し始めて、
彼も自分が地元の市役所を希望していると話しました。
すると、友達のなかの一人が、
「じゃあ、君も専門科目の勉強を始めてるの?僕はまだなんだけど、来月から始まる公務員の講習会に参加しようかと考えているんだ・・・」
専門科目?
校内で始まる講習会?
彼は、聞いたことのない言葉に戸惑いました。
そういえば、高校の先生からは、
大学に行って公務員になりなさい、と言われただけで、
大学のガイダンスもバイトが忙しくて出たこともなく、公務員試験のことについてあまり調べていなかったことに気がつきました。
彼は、頼んだ定食を一口も食べすに、
友達から公務員試験のことについて聞きました。
話は、昼休みが終わるまで続きました・・・
友達は、できる限りの話をしました。
でも、話をすれば、するほど、
彼の顔が、暗く沈んでいくのが不憫でなりませんでした。
友人達は、
次の授業があるからと、席を立った後、
彼はひとり
冷めきったご飯を口にしながら、
しばし呆然となりました。
友達から聞いた話しでは、
経済学や民法などの科目が10科目、
教養試験の他に、さらに追加されること。
公務員試験を受ける大学生は3年生なると、
アルバイトやサークルをやめて完全な受験モードに入ること。
予備校や大学の講座は、
費用が60万から80万くらいかかるとこと。
教養試験だけで受験ができる高卒区分の試験は、
だいたい21歳までしか受験ができないこと。
昼食を終えると、
彼は、午後の授業を受けずに、外のベンチに座っていました。
キャンパスにいる学生は、みんな楽しそうに過ごしています。
「同じ学生なのに、何でこんなに違うのだろう・・・」
ふと、そう思ってしまいました。
「このままでは母さんの願いに応えられないかもしれない」
彼は、両親が離婚してから、
あまり他人と比べたり、昔のことを思い出すことはやめようと決めていました。
それは自分が惨めになったり、虚しく思うことがあったからです。
でも、もう感情を抑えることができません。
周囲の賑やかな笑い声や、
楽しそうに歩く周囲の喧噪に紛れて、
言葉ともならない声を出して泣きました。
彼は、
留年していることを母親に打ち明けた時の表情を思い浮かべました。
目標にしていた夢が、
手のひらからこぼれ落ちていくのを感じていました。
このまま寝る時間を削りながら、
大学に残ることに、何の意味があるのか。。
大学を続けることも、辞めることも、
そして公務員試験に挑戦することも、
もうどうしていいか、分からなくなっていました。
ただ彼の目の前には、
2つのバイトをこなさなければならない
現実だけが残りました。